LTSコラム

これからの企業に求められるのは”最澄”型の人財
2012.10.5

こんにちは、業務分析支援事業部の山本です。今回はちょっと他のコラムとは違う体裁で書いてみたいと思います。

日本という国のあり方に仏教が与えた影響は大きいということに、異論を唱える人はほとんどいないかと思います。

日本の仏教を切り開いたのは空海と最澄という二人の天才です。もちろんそれ以前にも道昭、行基、良弁、鑑真といった高名な僧はいますが(道鏡のような”政治家”は除く)、空海と最澄の二人の存在は日本仏教史で群を抜いていると言えます。しかもこの二人が同じ時代に生き、相互に交流があったというのだから驚きますね。

最澄は言うまでもなく天台宗の開祖であり、比叡山延暦寺を建立したことで知られます。比叡山は後の世で信長~秀吉~家康の天下統一トリオが徹底的な政教分離を成し遂げるまで国教としての仏教の総本山でした。親鸞、道元、栄西、日蓮といった鎌倉仏教を開いた天才達を含め後世の著名の僧のほとんどが若い頃は比叡山にて仏教を学んでいます。

最澄は天才と言うより、むしろ”秀才”と表現するのが正しいのかもしれません。彼は長年の研究の中で法華経を中心に密教や律(戒律)、禅、念仏等、仏教の個別要素を結びつけた総合的な理論体系を構築し、これを形式知に落とし込みました。この過程で密教を学ぶために空海に”弟子入り”したのは有名な話です。この結果延暦寺は仏教を学ぶ総合大学の体を成し、これが後世延暦寺を起点として仏教人財を輩出した理由になりました。

一方の空海は真言宗の開祖です。真言宗は密教の流れを強く汲んでいますが、密教の基本的な考え方として「仏の本当の教えは言葉にできない」、つまり修行によって暗黙のうちに会得するものという前提があります。よって暗黙知の形式知化という発想がそもそも薄くなっています。

空海は”秀才”な最澄と違って文字通り”天才”的な人であったようです。周りには尊大な態度で接し、全てを語らず、他を寄せ付けない何かがあったと言われています。一方で綜芸種智院の創設や各種社会福祉事業を通じて広く民衆から崇められたのも事実です。結果真言宗は実質的に「空海を拝む宗教」となり事実、真言宗の称名は「南無大師遍照金剛(ないし南無遍照金剛)」となっています(大師とは空海のこと)。

どちらが凡人に近いかと言えば明らかに最澄の方でしょう。ただ彼は凡人であるが故に知を文字に起こし論理的に教えを体系化しました。だからこそ多くの弟子が育ち、そこから多くの流派や文化を生みました。教義としてはほぼ間逆である曹洞宗と浄土真宗の開祖がそれぞれ比叡山で学んでいることには驚かされます。SECIモデルの話を持ち出すまででもなく、知を体系化するとは決してその知を受け継ぐためだけではなく、新たな知を生み出すためのものだということがこの事例からも分かります。

先日、あるIT系の業界団体の会合で「全社を見渡して変革を提言できるリーダーが足りない」という話題になりました。出席者が上げる原因のほとんどが「変革を経験できる場が減った」「これまでのリーダー層が部下を育て切れていない」「優秀な人材をリーダーとして抜擢できていない」といった”実践”にまつわる原因でした。

その時に頭に浮かんだのがこの空海と最澄の逸話です。総じて企業経営における人の育て方は未だ「空海」的、つまり知識を体系化して教育するというよりは「実践あるのみ」「経験から学べ」「先輩の背中から学べ」になってしまっているのではないだろうか、ということです。これは決して実践(修行)を軽視するものではありません。理念・理論と実践の両輪が大きく「実践」の側のみに偏っているのではないか、ということを言っています。

このような話をすると「うちは社員教育を体系的に行っている」という企業は多いでしょう。ただ「教育が体系的」とは一体何をもって「体系的」と呼ぶのでしょう。業務に必要な知識を教えているとか、ロジカルシンキングやファシリテーションといったスキル教育を行っているとか、外部から人を招いての講演会をしているとかいうだけでは足りません。決定的に欠けているのは自社の業務の構造化と可視化です。これは目前の業務に必要な知識を教えるとは決定的に異なります。全社の業務構造(論理)が体系化されていなくば、そもそも自分の会社がどのように成り立っているのか説明できません。おおまかな自社のバリューチェーン位は理解できていてもどこに競争優位があり、どこが他社と比べて凡庸で、どのプロセスにどれだけのリソースが配分されているのかが分からなければ企業変革の提案などできないのです。

ところがこれを社員に教育しようにも全社横断での業務構造そのものが体系化されていない企業が極めて多いのです。自社の理念くらいは明確にしていても、さらに競争優位の源泉、業務プロセスの構造、データ構造等を理路整然と社員に説明できる会社はどれだけあるでしょうか。BPM、EAといった仕組みはこの「業務構造の体系化・可視化」のために存在していますが、このような取り組みが整然と行われている企業は決して多くはありません。そうであればやはり社員の教育を体系的に行えている企業は多くないということになってしまいます。

最澄が行った「形式知化」とは何でしょうか。それは決して優秀な僧侶の教育体系を明確にしたわけではありません。日本内外や過去の多くの教えを学び、それらを一つのビジョン(法華経)の元に統合して新たな、そして大きな理論体系を構築したことです。これは企業で言えば自社のビジネス構造そのものを体系化したに等しいと言えます。そして南都六宗をはじめとする”競合他社”との論争の中で体系をより強固なものに進化させていきました。この理論構造そのものの体系化こそが後の僧侶育成の重要な基盤となったのです。

教育体系の明確化とは何より自社業務構造の明確化からはじめるべきです。そうでなくば空海のような天才がいずこからか生まれるのを待つ企業モデルになってしまいます。宗教であれば一人の天才の教えに頼って1000年を永らえることも可能ですが、企業ではそうはいきません。企業に求められるのは次の1000年を支える教えを体系化できる”最澄”型の人財です。